どーん!

今すぐこの殻やぶりたいジャニオタ

北山宏光『優しい雨』の勝手な解釈

今月、とうとうアリーナツアーに向けてKis-My-Ft2のアルバム『MUSIC COLOSSEUM 』が発売された。わたしは、音楽には詳しくないけれど、今まで"キスマイっぽい"という枠を作らず、なんでも挑戦してきたキスマイだからこそできるアルバムだなと思った。アルバムのタイトル通り、曲の内容や歌詞や曲調から攻めに攻めたアルバムだった。そして、今までのアルバムの中で一番主題のはっきりした統一感のあるアルバムだと感じたし、その統一感が心地よかった。

 

そんな攻めに攻めた曲調が並ぶ中、わたしは、北山宏光の『優しい雨』は異色を放っているように感じた。

 

songsの記事でも本人が『アレンジの切ない感じに合わせたら女々しい曲になった』と話しており、一言で表すとものすっごい未練たらたら曲!(これは、盛大な褒め言葉)

そんな重めの歌詞に対して、北山くんの鼻にかかった甘い声と爽やかな曲調でとても聴きやすく心にじんわりくる。何度でも聴きたい曲になっていると思う。

 

攻めに攻めた曲の中にぽっかりと浮かぶ女々しい未練たらたら曲。いったいどんな意図でこの曲をいれたのだろう、統一感のあるアルバムにいれるソロ曲。今までライブの演出も考えている北山くんがそのバランスや全体を考えないはずがない。そんな中で生み出されたこの曲にすごく興味が湧いて、ひたすら聞いて、自分で文字起こししてみて、この曲を思い描いていました。

 

 

私は、この曲をもうひたすらに女々しくて重くて未練たらたらな男の子の曲にしたくてしょうがない。だから、設定は彼女と別れて1年後。

 

一年も経つのに、未だに君を吹っ切れない僕。雨の降る中、「君の姿 探してる」。「君を思い出すと なぜだろう 景色がにじんでく」。やっぱり思い出すと泣いちゃって。でもカッコ悪いのはいやで。雨でごまかしちゃう。

 

きっと僕は人混みの中に行くたびに、彼女とのことを思い出してるの。彼女を探しながら。

「しぐさが似てたり あくびがうつったり 」小さな幸せがあれば、それだけで十分たったことを思い出して心がほっこりして。

でも、そうやって記憶をだどるうちに今彼女はどうしてるかな、誰といるのかななんて考えちゃって。今も付き合ってたら絶対幸せだったのに、なんて有りもしない物語を自分の中で勝手にハッピーエンドにしちゃって。

幸せになれたはずなのにって思えば思うほど、別れた時の後悔が君を抱きしめる感触とともに思い出されて。また、どうしようもない悲しみが押し寄せてくる。

そんな風に同じことを何度もなんども繰り返してる僕。なんでを繰り返して一年を過ごしてきて。でも雨が涙を隠してくれるから。涙を流す僕を雨は包んでくれる。

一体いつこの想いが消えるのかは分からないけど、そんな日常から抜け出せないでいる僕を私は想像しちゃいます。

 

こんな未練たらたらな曲を書く北山くんは何者なんだろう。20歳の時に書いた今ナニヲ想ウノも31歳で書いた優しい雨もいない君を想いすぎてて重たすぎて、過去を引きずりすぎてて。

 

北山くんの曲は、必ず付き合って幸せな日常を過ごしてて、大好きな気持ちは消えてなくて、でも一緒にいれないんですよ。一回は近くにいてくれた人と一緒にいれなくなることが北山くんにとっての最大のせつないだとしたら、それはとてつもなく共感してしまう。

 

だから、私はこの歌にひたすら共感して、せつないを体感して泣くわけです。

未練たらたら曲は、せつないを体感して浄化してくれます。

 

引きずる僕はもうめちゃくちゃにカッコ悪いけど、好きな君をひたすらに一途に想える僕はかっこいいんですよね。

 

そんなことを知ってる北山宏光が一番かっこいいかもしれない。